こんな方は一度ご相談下さい!
今は2番手、3番手ピッチャーだけど、どうにかしてエースに上り詰めたいピッチャー
「カラダが小さくても、速い球を投げたい!」というピッチャー
快速球でバッタバッタ三振をとりたい人
「本当はピッチャーやりたいんだよなあ・・・」今はチーム事情で無理そうだが、ゆくゆくはピッチャーをやらせてもらえるようになりたいと思っている選手
ひじや肩を痛め、正しい投げ方をマスターしたい選手
プロフィール
こんにちは。宮前まちの整骨院でピッチングコーディネーターをしている、長澤広輝です。
【野球との出会い】
私は父の影響で、小学校1年生の時に地域の少年野球チームに入部しました。
中学時代は横浜北リトルシニアに入部し、高校時代は、神奈川県にある星槎国際湘南で全国制覇に向けてプレーをしていました。
【怪我に苦しんだ現役時代】
一番大きな怪我をしてしまったのは高校1年生の時です。
私が進学をした、星槎国際湘南は私たちが一期生として野球部を立ち上げ、高野連の規定により私たちの初めての公式戦は、1年生の時の秋季大会でした。
予選では3校が総当たりで試合をして、1位が県大会に出場できるブロックに入り、この予選で私は2試合に登板し12回を投げ失点0。チームも予選1位通過し県大会出場を果たしました。
私はこの予選期間中に自分の投球スタイルを見つけ、県大会に向けて手ごたえを感じながらピッチング練習をしていた時、立ち上がれなくなるほどの腰に激痛が起こりました。
この怪我により満足にいく練習ができず、県大会でも思うようなプレーはできませんでした。
この後の現役生活の中でも何度も腰の怪我を繰り返し、練習から離脱することが多く自分にとっては不完全燃焼な高校3年間でした。
【治療家を目指したきっかけ】
私は現役時代何度も怪我を繰り返し、練習ができない時期を何度も経験してきました。
ピッチング練習がしたいのに、身体が投げられる状態ではない為チームのサポートに回る、この時期はとてもつまらない時間でした。
この私の経験を生かし将来サポートをする選手たちに、私と同じ思いをさせたくないという思いで治療家の道に進みました。
私が治療家に進もうとしたきっかけは2つあります。
1つ目は高校の時に出会ったトレーナーさんです。
私が腰を痛めるたびに身体のメンテナンスや、リハビリのメニューなどサポートをして頂き早期復帰をすることができました。
トレーナーさんとの出会いがなければ、高校野球を途中で辞めていたかも知れません。
私の中で、トレーナーさんはとても心強い存在でした。
2つ目は父の影響です。
私の父は、少年野球の監督を10年以上続けています。
監督として、選手を指導している姿、試合で采配している姿を見てきた私は、いつか自分を指導者になりたいと思うようになりました。
野球の指導をするなら、野球経験者なら誰にでもできると思っています。少年野球なら自分の息子がチームにいるだけで、コーチになれるチームもあります。
私が理想とする指導者像は、野球の指導以外に、身体のケアの仕方、身体の治療、トレーニング指導が全て行える指導者です。
理想の指導者像に近づく為には、身体の解剖学的知識を学ぶ必要があると考え、国家資格の鍼灸師を目指し専門学校に進学しました。
【指導者として】
医学的な知識を学んだ事により、野球に対する考え方、練習のアプローチの仕方が変わってきました。
野球の投げ方を指導するのは、野球経験者であればほとんどの方が指導できると思います。
しかし、指導を見ていると
「肘が下がっているぞ」
「下半身が使えていないぞ」
このような抽象的な指導が多く見られます。
「なぜ肘が下がるのか」
「なぜ下半身が使えないのか」
「なぜ」の部分を明確に伝えることができなければ、技術の向上に繋がらないのです。
医学的な知識と野球の知識を組み合わせ、「なぜ」の部分を明確に伝え、技術を向上させるだけではなく、怪我をしないための体作りや体の使い方を伝えたいと思っています。
【将来の夢】
私の将来の夢は、自分の教え子がプロ野球選手になり日本代表として活躍できる選手を輩出することです。
将来どんな子供たちを指導するか分かりませんが、「野球の面白さ」「試合に勝つ喜び」を伝えていきたいなと思っています。
私の弟が今高校球児として甲子園を目指し、日々努力をしています。
弟のサポートを行いプロ野球選手になり、弟の個人トレーナーになることも私の中での1つの夢でもあります。